天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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天田財団30周年記念インタビュー 23.歴代理事長に聞く天田勇会長(当時)の意思で設立――上田元理事長は2004年5月に3代目理事長に就任され、2013年6月に理事長を退任、その後2015年6月まで理事として財団運営にかかわっていただきました。理事時代を含めると11年間、財団に携われたわけですが、設立30周年を迎えるにあたっての率直な感想から伺えませんか。上田信之元理事長(以下、敬称略)―私は1987年5月に財団法人天田金属加工機械技術振興財団の設立式典に、天田勇会長(当時。以下、同じ)にご一緒して参加させていただきました。ただ、そのときは株式会社アマダの企画担当役員としての参加でした。日ごろから天田勇会長から、私財で社会貢献するための財団を設立したい、というご意思は伺っておりましたが、当時の私はアマダの業務に専念しており直接、財団運営にかかわることはありませんでした。 当時伺っていた話では、天田勇会長のご意思は、塑性加工分野の研究を助成する財団というよりも、金属加工機械の開発にまつわる革新的な技術の研究を助成する、より広義な財団を目指されていたように思います。しかしながら、当時の所轄官庁であった通商産業省(現在は経済産業省)のご裁断で、通産省機械情報産業局鋳鍛造品課(現在は経済産業省製造産業局素形材産業室)経由での申請となり、塑性加工分野の研究助成を行う財団として設立認可がおりました。それから今日まで30年にわたり、塑性加工分野やレーザプロセッシング分野を中心にした、研究開発助成財団の礎いしずえになった原点でありますので、関連する学会などから高い評価をいただいていることは、感慨深いものがあります。――2004年に理事長に就任されて、初めて財団の運営実態を知ったというのが本当のところですか。上田―理事の経験もありませんでしたので、理事長就任により、初めて財団の実態を知るところとなりました。幸い初代専務理事の織田重稔氏を筆頭に歴代の専務理事、事務局長が、理事会、評議員会、選考委員会などの議事録を正確な記録として残されていたので、それらを見せていただいて、これまでの財団の活動の歴史が良く理解できました。 財団理事長に就任したあと、最終的には理事退任までの約10年間、週3日の財団への出勤日に専務理事、事務局長、女性スタッフの4人体制で、財団運営の仕事に専念できたことは、今となれば良い思い出です。これからも研究者を支え、そして産業界の架け橋として日本の発展に寄与財団の体質強化――理事長就任前後の経済動向は1991年2月から上田信之(在任期間:2004年5月~2013年6月)公益財団法人 天田財団 3代目理事長2004年5月に3代目理事長に就任、2013年6月に理事長を退任するまでの9年間、理事長を務めた。1993年から2003年まで(株)アマダ代表取締役社長。44概 説

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