天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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天田財団30周年記念インタビュー 13.歴代理事長に聞く社会貢献が目的――天田財団は1987年、金属等の塑性加工に必要な機械に関する基礎的・応用的な技術並びにその関連技術の研究にかかわる助成を通じて、塑性加工機械に関する技術の向上を図り、もってわが国の産業及び経済の健全な発展に寄与することを目的とする、財団法人天田金属加工機械技術振興財団として設立されました。2007年からレーザプロセッシング分野への助成もスタート、2011年には公益財団法人の認定を受け、公益財団法人天田財団としてさらなる発展を図ってきました。天田元理事長は1990年に財団の理事に就任され、1997年に初代理事長、天田勇様から理事長職を引き継がれ、2004年に3代目の理事長、上田信之様に引き継ぐまで7年間理事長を務められました。財団設立当時から関っておられたと思いますが、そもそも財団設立の経緯はどんなものだったのでしょうか。天田満明元理事長(以下、敬称略)―天田勇名誉会長は1946年6月に焼け旋盤1台から創業、1948年に合資会社天田製作所を設立、1953年に株式会社に改組して以来、金属加工分野で事業を発展されてきました。戦後の焼け野原から創業して以来、日本経済の発展に寄与することを心がけてこられました。そして従業員とその家族、機械を購入していただいたお客さま応募を待つだけではなく、研究テーマを発掘するマーケティングの発想を持ってほしいのことを大切にし、「お客さまとともに発展する」の企業理念の下で、有言実行で見事に社会貢献を果たしてこられました。そんな中で私が日本鍛圧機械工業会の理事などを務める中で、日本塑性加工学会や経済産業省(当時は通商産業省)の鋳鍛造品課とのパイプができ、産官学のネットワークができてきました。 当時から塑性加工分野の研究は地味で国の科学研究費(科研費)もなかなか付かず、研究者の皆さんは限られた研究費で地道な努力を積み重ねておられました。そんな話を勇名誉会長や江守龍治会長などと話す中で、勇名誉会長はご自身が持っておられるアマダの株式を基本財産に、塑性加工分野の研究者に研究助成するための財団を設立したいと考え、通産省(現在は経済産業省)や塑性加工学会にも協力をお願いして設立準備をしようという話になりました。 当時、アマダ技術研究所の所長をされていた遠藤順一神奈川工科大学名誉教授(現天田財団評議委員)が、日本塑性加工学会の役員を務めておられたので、東京大学生産技術研究所の教授だった木内学先生(現東京大学名誉教授、現天田財団理事)や、当時は機械技術研究所(現在は産業総合研究所)におられた、松野健一先生(現日本工業大学客員教授/工業技術博物館館長)などに働きかけ、日本塑性加工学会の会長だった、神馬敬東京工業大学名誉教授の協力を得ることができました。私は日本鍛圧機械工業会の伝つてで通産省の鋳鍛造品課の課長さまに趣旨を説明し天田満明(在任期間:1997年3月~2004年5月)公益財団法人 天田財団 2代目理事長1990年に天田財団理事に就任、1997年に初代理事長、天田勇から理事長職を引き継ぎ、2代目理事長に就任、2004年まで7年間理事長を務める。また、一般社団法人日本鍛圧機械工業会会長を1989年から2003年まで15年間務めた。42概 説

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