天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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事業の展開時期は前後するが 1990(平成 2)年7月、法改正に伴い、通商産業省より法人名称を特定公益増進法人に変更する認可を受けた。1993(平成5)年には、助成金の源泉となる基本財産からの配当金や利金の安定のため、天田勇理事長の私有財産より追加出捐された(株)アマダの株式350万株と(株)アマダメトレックスの株式50万株などにより、基本財産総額を14億1,000万円としている。しかし、当時の経済状況を反映し、1991(平成3)年をピークに株式の配当金は1994(平成6)年まで減り続け、その後は安定傾向を維持するも14年後の2006(平成18)年までピーク時を上回ることはなかった。このような状況にもかかわらず助成と普及啓発の事業を続けてきた財団を1997(平成9)年1月20日、訃報が襲う。(株)アマダの創業者であり、財団理事長、設立者である天田勇の死去である。財団の事業に大きな推進力を与え続け、自らの夢と熱い想いを託してきた創業者を失い、財団の関係者のみならず、一同深い悲しみに包まれた。しかし、財団の活動の重要性を説き続けた天田勇理事長の信念を引き継ぐように、後期助成テーマの決定や定期刊行物の発行など業務にまい進し、同年 3月、天田満明理事長の就任を迎えることとなった。財団の事業としては、このころより「研究開発助1991年11月9日に行われたFORM TECH ’91(FORM TECH第1回)の様子成」の対象としてレーザプロセッシングに関する研究やセラミックスおよびプラスチックなど非金属材質を扱った研究が採択されるようになる。これは財団設立の精神を表す設立趣意書にもうたわれている通り、助成事業の目的を「金属等の塑性加工に必要な機械に関する基礎的、応用的な技術並びにその関連技術の研究に関わる助成」と捉え、実行した結果といえる。後年、この思想が発展し、独立した助成対象の1つとしてレーザプロセッシング分野を加えることになる。2000(平成12)年5月、財団設立に大きく貢献し、設立後の運営に長年尽力してきた長谷見俊夫専務理事が退任し、後任として真野建治専務理事が就任した。天田賞の開始と助成研究成果発表会の再開2001(平成13)年より、社団法人 日本塑性加工学会に天田賞の寄附を開始した。これは、板金加工技術、プレス加工技術、または地球環境への負荷低減技術で時代の要請に応じた学問・技術開発上の顕著な業績に対して贈られるべく設定された賞である※3。2002(平成14)年6月、真野建治専務理事が退任し、後任として小山勝巳専務理事が就任したが翌2003(平成15)年5月に退任、後任には松本正照専務理事が就任する。同年5月23日、財団の宿願であった普及啓発事業の研究成果発表の場として、新たに「天田財団助成研究成果発表会」を社団法人 日本塑性加工学会の春季講演会と併設する形で開始した。本発表会はその後も回数を重ね、2016(平成28)年には第14回を開催するまでに至っている。※3 2011(平成 23)年度より賞の名称が技術開発賞(戦略分野)に変更されたが、現在も表彰が続けられている。37

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