天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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(2)日本国内の加工用レーザ技術開発の歴史日本国内のレーザ加工の始まり(1970年代前半)超高性能レーザ応用複合生産システムの研究開発(1977〈昭和52〉年)超先端加工システムの研究開発(1986〈昭和61〉年) 日本国内におけるレーザ加工は、1971(昭和46)年に進和貿易(現 進和テック)が米国Photon Sources社、丸紅がCoherent社のレーザをそれぞれ輸入し、大学・研究機関が使用したことから始まる。 1970年代、理化学研究所 難波進氏らのグループが国内でレーザ微細加工を開始した。当時のレーザ加工の現状について、難波氏は「(レーザ加工には2つの流れがあり)1つは、レーザ光の集束性に着目した微細加工への道であり、もう1つは他のエネルギー源では得られないような高いパワー密度に着目した大型加工への道である。」と述べている※。 当時、レーザ加工は、「特殊加工」と呼ばれ、従来の機械工作・加工に対して後発技術であった。 1977年度から1984年度にかけて、通商産業省工業技術院(当時)の大型工業技術研究開発制度による国家プロジェクトとして「超高性能レーザ応用複合生産システム」の研究開発が実施された(研究開発費総額約137億円)。 レーザ加工関連としては、多品種少量生産の機械部品を素材から一貫システムで生産可能な複合生産システムに必要な要素技術の確立が目標とされ、大出力CO2レーザ、中出力希ガスレーザ(200W)、固体レーザ(300W)の開発が進められた。その結果、当時世界トップレベルのCW 300W Nd:YAG レーザ(電気効率=3.6%)と26.5kW CO2レーザ(電気効率=16.5%)が開発された。 通商産業省(当時)の事後評価において、結果としてプロジェクトの成果は世界のトップレベルに達し、国内主要産業の国際競争力の向上に貢献したこと、特にHIP(Hot Isostatic Pressing)技術が世界のトップになったことは評価できるとされている。さらに、当該プロジェクトの3分野(複合加工・組立技術、レーザ応用技術、素形材技術)のいずれにおいても、得られた知識、ノウハウはプロジェクト成果の応用に利用され、現在もなお研究開発は続けられている。 複合切削・組立技術分野においては、得られた知識などが「モジュラ−構造構成」の設計思想の普及に役立つとともに、その高度化を促進させた。レーザ応用技術分野においては、レーザ関連技術者が育ち、実用化製品の事業化へと進んだことが評価された。※応用物理 vol.51、No.4、pp454-458、1982 参照 1986年度から1994年度にかけて、通商産業省工業技術院(当時)の大型工業技術研究開発制度による国家プロジェクトとして「超先端加工システム」の研究開発が実施された(研究開発費総額約161億円)。 プロジェクトにおいては、先端技術産業(エネルギー、精密機器、エレクトロニクス、航空宇宙)に必要なエキシマレーザ(紫外波長エキシマ(希ガスハライド)レーザ)、イオンビームなどを用いる加工処理技術と超精密機械加工の確立が目標とされた。 同プロジェクトの成果として、次の高性能エキシマレーザの開発が挙げられる。・日本電気:長寿命化:ArFレーザ、109ショットの寿命・小松製作所:高品質化技術:ArFレーザ、狭帯域、低いビーム発散角・東芝:高繰返化技術:XeClレーザ、5kHz・三菱電機:大出力化、XeClレーザ、2kW、800Hz、電気効率:3%・日立製作所:自動出力安定化技術、XeClレーザ・産業技術総合研究所:光整形技術、極端紫外光への変換180研究開発と助成の変遷

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