天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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(7)引抜き技術の変遷▶引抜き技術の変遷▶1945(昭和20)年~1974(昭和49)年 [引抜き技術の変遷]年代項目1945年~1950年~引抜き連続伸線機(貯線型)ダイス・ドラムの冷却ローラーダイス太径用連続伸線機(ストレート型)ナローギャップ冷却鋼線の事例乾式伸線用粉末潤滑剤400キロコイル釘 針がねワイヤロープリン酸亜鉛皮膜引抜き理論Gelejiの最適ダイス角1. 概要引抜き(drawing)とは、棒・線・形・管材を円すい状のダイス孔に通して引っ張り、ダイス出口の断面形状と同一にする塑性加工法である。ここでは圧倒的に生産量の多い、棒線を主体にその変遷を述べる。棒線引抜き材には、太径では建機、自動車構造部品用シャフト、OA機器用シャフト、架橋用高強度ワイヤ、細線ではスチールコードワイヤ・医療用ガイドワイヤ、シリコン太陽電池・半導体シリコンウェハー・水晶振動子・LED用サファイアなどの精密切断加工用ソーワイヤ、印刷用メッシュワイヤ・半導体用プローブピンなど様々なサイズ・品種・用途がある。これらの棒線材は主に引抜き・矯正加工により生産されている。構造部材・機能部品としての用途が多いため、寸法公差・偏径差・真円度のみならず真直性・きず・表面粗度が年々厳しく求められている。引抜きの大きな特徴は、引抜応力はその材料の降伏応力よりも小さな値で縮径できる点にある。すなわち、引抜きは単純引っ張りで縮径するよりもエネルギーコストが小さく、かつ真円度の高いダイスを通すので寸法精度も格段に高い。この特長が4000年以上前の古代から連綿と引抜きが継続使用されてきた理由でもある。2. 1950~1960年代伸線機械は単頭式乾式伸線が多かった。戦後復興期の1950年代から量産志向の連続伸線機へ移行し始めた。導入技術の国産化で貯線型連伸機を製造し、潤滑剤の研究が始まり、りん酸塩皮膜の使用によりダイス寿命の向上、伸線速度向上も図られるようになった。品質向上・生産性の向上に伴い、工具は超高合金ダイスに置き換わっていった。1960年代では銅線用として伸線機+焼鈍機+デュアルスプーラーと一連のインラインシステムが実施され、鋼線では現在に近い素材が1~2tコイル化され、φ2mmで伸線速度は600m/minほどになった。 メカニカルディスケーラ、ノンストップコイ ラー、ダイス外周の冷却、ドラム内部の冷却(ナ ローギャップ式など)が普及しはじめた。当時は「逆張力伸線機」「超高圧液圧伸線機」「多本同時伸線(マルチ伸線)」「無人化伸線システム」など伸線機開発が盛んに行われていた。自動車タイヤの補強材にφ0.20mmのスチールコードを使用したのは第2次世界大戦後のフランスのMichelin社である。1960年後半には国産化され、150研究開発と助成の変遷

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