天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
14/216

技術と文化のかかわり金属加工の歴史は、古く人類の歴史を遡って論じることができる。遥か昔、砂金・銅粒片などを拾い集め、つぶし圧接し、あるいは溶解し、装身具や簡単な道具をつくった時代から、青銅器時代、鉄器時代を経て農耕文明を拓き、以来、脈々と時を重ねて現代に至るまで、その利用の歴史は、文字通り、人間あるいは人間社会の進化と軌を一にしている。ここで、その壮大な歴史の流れを説く余裕はないが、金属加工が果たしてきた役割を、単に、技術論あるいは技術進化論の視点のみから語るのではなく、文化論や人文科学論・社会科学論の視点からも考察することが、金属加工の未来を考えるに際して、視野と議論の範囲を広げ、研究・開発の理念や意欲を高める上で、意義あることと思われる。何故、今、文化論か?と問われれば、次のように答えたい。すなわち、現代社会は文字通り技術の上に成り立っている。技術の貢献・恩恵なくしては、われわれの生活ひいては生存は一日たりとも成立しない。にもかかわらず、通常、人間を人間たらしめているのは、その精神活動や知的行為であり、それらを支えているまたは生み出しているものは、芸術・美術、哲学・理学、宗教や伝統、あるいは、教育・習慣など、いわゆる文化である、と考えられている。そこには、技術とのかかわりに関する考察はない。つまるところ、文化は、人間または人間社会の知性・感性・精神・信仰などの上部構造を構成しており、技術は、言うなれば、生活・生存を支え、利便性・経済・社会構木内 学公益財団法人 天田財団理事・東京大学名誉教授特別寄稿造など下部構造を支えている、と考えられている。その結果、芸術・哲学などに関する知識や経験は、教養として敬意が払われるが、技術に関する知識や経験は、教養とは無関係と思われている。かかる考え方は、長い間、疑問にも思われずに、一般通念として受け入れられてきたが、人間の生活や社会がこれほどまでに技術に依存している現在、技術が人間の精神活動や知的行為、あるいは、感性や感覚と関係しないと考えることは、誤りであると言わざるを得ない。金属加工:現在・未来― 製造技術から生産文化へ ―1.序論:技術と文化※本稿では、"製造・加工"、"製造業"を包含する意味で"金属加工"、"金属加工業"と記す場合、また、"製造"と同じ意味で、"生産"、と記す場合、がある。技術の視点・文化の視点本稿では、製造加工技術と情報技術の目覚ましい進化、それらの連関や融合が誘起する大きな社会的変化、あるいは、技術的事象・事物の変革について議論するが、併せて、それら変化が、人間の精神的活動や知的行為に大きく影響している点についても考察を試みる。実際、われわれの精神・感性・知性がかかわる日常的行為・活動と、技術がもたらした大いなる成果との相互関係は深まり続けており、現在では不可分と言っても過言ではない。例えば、毎日マスメディアから発信される膨大な情報、CGやVRがつくり出す想像を超える映像、地球上のあらゆる場所にいる仲間と即座にできる情報交換、必要な知識・データを何時でもどこでも入手できるネットワーク環境などは、技術の大きな成果であるが、いずれもわれわれの精神活動や知的行為を支えており、それを意識するか否かにかかわらず、深いところで影響を受けていることは明らかである(図1参照)。ゆえに、人間社会の精神的・知的所産たる文化14特別寄稿

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る