天田財団30年史「人を育て、知を拓き、未来を創る ~天田財団30年の軌跡~」
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(2)圧延技術の変遷▶圧延技術の変遷▶1945(昭和20)年~1969(昭和44)年[圧延技術の変遷]1. 概要ここでは質的にも量的にも圧倒的に存在感の大きな鉄鋼圧延を主体にその変遷をまとめてみた。 日本の粗鋼生産量は1950年に勃発した朝鮮戦争の需要、およびその後の高度成長の波に乗って急激に伸び、1960年には2,200万トン、高度成長がピークを迎えた1973年には1億2,000万トンの最高生産量に達し、この間、君津・鹿島・堺・水島・福山・大分など、当時の欧米諸国では実現し得なかった1,000万トン/年級の巨大製鉄所が相次いで建設された。また、同時に多くの優秀な技術者が日本の鉄鋼業を支え、圧延技術においてはコンピュータの進歩とともにプロセスコントロールの発展につながった。その後、1970年代後半以降の日本経済の低成長化の影響により鉄鋼産業の設備的優位は足踏み状態と年代項目1945年〜1950年~厚板圧延薄板圧延熱延冷延条鋼圧延(形、棒、線)平鋼Hミル圧延継目無鋼管ロール・潤滑熱延ロール冷延ロール潤滑(熱)油脂系、(冷)エマルジョン圧延理論Brand&Fordの式Hillの式Simsの式初期連続圧延理論なり、近年では進展著しい新興国に追いつかれつつある。また、低成長化の影響は技術者の採用抑制にもつながり、塑性加工学会における圧延技術に関する発表も1980年の件数(49件)をピークに激減しはじめ、近年では1桁台の件数が続いているような状況である。しかし、プロセス開発および材質制御TMCP技術では依然として世界をリードしており、今後、これらの圧延技術の優位性をどのように確保していくかが課題となっている。2. 1960年代この時代の特筆すべきことは、欧米から導入した設備・技術を基に、日本独自の技術を発展させたことである。海外からの技術導⼊時代海外からの技術導⼊時代海外からの技術導⼊時代海外からの技術導⼊時代海外からの技術導⼊時代126研究開発と助成の変遷

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